8月27日の覚書

東京へ初めて日帰り出張した日、仕事を終え、職場を出てから1時間半ほど電車に乗り羽田に着いた。無事に作業も完了して肩の荷が下りたからか、とてつもなく腹が減っていることに気付き、速攻で駆け込んだラーメン屋の醤油ラーメンがとてつもなく美味しかったのを覚えている。

 

スーツケースを拡げるのもやっとの狭いホテルで、ラヴィットロック終わりのニューラジオを見ながらのチューハイとおつまみ牛タンもまた最高だった。ニューラジオはいつも最高だけど、あの日は最高の中の最高の気分だった。ニューラジオを聴きながら、ペンライトの光で溢れる代々木の風景を思い出して浸っていた。おかげでブレイキングダウンの話題の部分は1度巻き戻して聴くことになった。青い光の中の15の夜大合唱、おだみょんを包んでいる緑の光と、良く晴れた日の星のように眩しいスマホのライトは格別に美しかったから、何度も反芻した。

 

ラヴィットロックの日は、まさにその近くで地域のお祭りをやっていたらしい。法被や浴衣を着た老若男女とすれ違う。2つの大きなイベントで原宿はごった返していた。自分はグッズ購入のため、開場1時間ほど前に会場に着いた。そこら中立ち込めている熱気に、持参した250ミリペットボトルのお茶では到底もたないと思い、近くのマツキヨで麦茶を買った。同じことを考えているであろう若い女子たちと狭い店内ですれ違う。彼女たちが着ているTシャツは、ラヴィットロックに出演する芸人さんの単独ライブやファンクラブのグッズだったりした。そんな自分もまた、先日幕を閉じたニューヨークの単独ライブグッズ、虫の息のTシャツを着てレジに並んだ。

 

席はスタンド席1列目の席だった。ステージからは遠目の場所だったが、視界が良くて、センステもはっきり見えたから嬉しかった。速攻ブルーベリーを飲んで挑むつもりだったが、ホテルで小さい鞄に財布を入れ替えた時に入れ忘れた。チケットだけは忘れなくて良かった。

 

館さまの開会宣言、めっちゃ長いなと思ったら、ちゃんとノーカットだったっぽい。テレビじゃないからできること。贅沢。多分、VTR出演はあるだろうな、と思ってはいたけどやっぱ嬉しい。ゾエの注意事項読み上げも良かった。会場のみんながゾエのことが大好きだというのは歓声を聞いたらよくわかった。

 

嶋佐Oasisは、絶対にいつか生で見てやろうと思っていて、ラヴィットロック現地に行くと決めたのは赤坂サイファーを見た時。楽しすぎたから。あとギャルル出演の予感も背中を押した。

 

嶋佐Oasis、勝手に23曲やってくれると思ってしまっていて、1曲でスッとはけた時にエッ…MOTTO…今私嶋佐アンソニーの口(カレーの口みたいに)なんだがと思ったけど、Mステでたまにある海外アーティスト出演の特別感があって結果良かった。ギター屋敷の、ちゃんと音楽に浸っている感じの表情がすごく印象に残った。ちょっとだけ楽器の演奏などしていた経験があるが、楽器って、自分の知らない新鮮な人格を呼んできちゃうと思う。

 

嶋佐といえば、オープニングでコメントを求められた際、海外アーティストさながらの温度低めの意気込みを披露していて、これが大変に良かった。あの感じは本当に嶋佐でしか出せない味だ。とはいえ、一度サングラスを外せばいつもの嶋佐。丼揚だったか、アルピーのピンスパだったかで、盛大に彼の引き笑いが会場に響き渡っており、それが私は非常に良きものとして思い出になった。

 

ランダムグッズは本当にいつも良い引きが出せないので、今回もどうせ無理だろなーと思いながら、カードキーホルダー5枚購入。会場外で速攻で開封の儀。そしたらなんとKazuya Shimasa…!思わず笑みが溢れ、顎に引っ掛けていたマスクをすぐに上げた。嬉しくてすぐにスマホで記念撮影した。撮った画像を見、そこで前の晩に塗ったネイルが少し欠けていることに気付いた。やっぱこうなるから慣れないことするもんじゃねぇと思った。入場前に、テンションアゲとサゲ、両方味わうことが出来た。

 

会場からの帰り道、渋谷駅近くまでの道のりを同じく帰路につく人の波に乗ってゆっくり歩いた。渋谷の街は、あまり好きじゃないと思った。途中途中の、チェーンの飲食店の明かりを見て少しばかり心が落ち着いた。昼の方が嫌で、夜の方がマシかなと思えたのは確実にラヴィットロックのTシャツを着て、思い出話に花を咲かす人たちに囲まれて歩いていたおかげだ。私は翌日有給を使い、精神的ゆとりがあったが、この中にも明日から日常に戻る人たちが沢山いるのだなと思って少し切なくなった。私はホテルに着いてから即メイクを落としにかかった。ニューヨーク単独の時、入場前トイレでマスクを外すと、デロデロに化粧に溶けていて悲しかったが、あの日より湿気がやばかったこの日の方がそうでもなかった。なんでだよと思って考えたけど、どうせ会場は暗いからと特段いつもと変わらない化粧をしてたからな気がした。やっぱ特別な日だからといって、ネイルなんてするもんじゃねぇなと思った。

夏の思い出の話

「隠れ悪意のファンタジスタ」の煽り文句で登場し、悪意のカケラもないコントで爆笑をかっさらう人たちを見て「何やってんのめちゃくちゃCoolじゃん」と、テレビに釘付けになってしまってからもう3年経つらしい。

田舎だけど大きめのイオンはある地元を離れて社会人になり、自由に遊べるお金と時間を有意義に活用したかった私は「毎年の夏にミュージカル鑑賞をする」というのを趣味にすることにした。しかし、コロナ禍の訪れによりたったの数年でその趣味は消滅。

元来怠惰な人間であるが故、休日も大体は家の中でYouTubeなどを無限に再生しながら、画面を見もせずにスマホをイジリ続けていた私のケツを叩いたのはお笑いのライブだった。

コロナ禍以前、友人と年1で大阪へ行き、USJを楽しむことが恒例になりつつあったのだが、移動日の新幹線の中で、空き席があれば漫才劇場のチケットを買い、お笑いライブに足を運ぶのは1つの楽しみでもあった。その時取得した旧チケットよしもとのアカウントは、後々フル活用させていただくことになる。

2020年の舞台やライブはほぼほぼオンラインに取って代わり、個人的にこれはこれで楽しかった。何せ家が好きな人間だから。

翌年から早くも少しずつオンサイトでのライブも戻り初めていたが、どうしてもコロナが怖かった。広い会場での観劇も勇気が出なかった。感染者が出た時の職場の物々しい雰囲気をもう二度と味わいたくない。

2021年の初現場。初めて足を運んだ約500人キャパの劇場は客席も半分ほどしか埋まっていなかったが、当時の自分はそれでもコロナに対する恐怖があった。しかし、幕が上がってからは何のその、嘘みたいに楽しかった。

席が近いと、生身の人間感に驚く。この前テレビでバカやってた人が目の前で漫才してる。顔ちっせ!鼻たけ!とかアイドル見た人みたいな感想までちゃんともった。その日から私のお笑いライブの敷居が下がった気がする。

気づけば去年の夏に単独ライブのLast Message。そして、今年の夏は虫の息に足を運んでいる。

私がニューヨークを初めて拝見したのは、めちゃイケスピンオフ?のネット配信番組ゼロテレビ。めちゃイケが大好きでネット配信に興味があったこと、バチエレが見れる地域でなかったこと、仮面ライダーブレイドをDVDで見終わった頃に作品内で仮面ライダーを演じていた俳優であり雛形さんの旦那さんである天野さんが実はかなり変わった人らしいと聞きつけその姿を一目見たかったことなど、さまざまなタイミングが重なってのゼロテレビではじめましてである。そのあともテレビなどで時折見てたけど、ここまで好きになることを予想はしてかった

でも色々考えたけど、彼らがテレビでブレイクするタイミングがもっと早く、たくさん目にする機会があったとて私がニューヨークを好きになるタイミングは社会人になってからだったのだろうと思う。

大人になってからかなり色んなことを妥協するようになってしまった。妥協を妥協ともおもわず、いやこういうもんでしょ、と許容したりすることも多くなった気がする。

大人になる前までの方が、倫理的に価値観的に許せないと苛立って、「正しくあること」に固執してたかもしれない。

ニューヨークのネタは、妥協を許す自分に「別にそれでもええんやで」と言ってくれるような時もあれば、「何許容してんだテメェ目逸らすなや」と発破をかけてくる時もあると思う。

 

単独の最後のコント。

学生の頃は所謂ウェイな大学生が疎ましくて仕方なかった。将来の心配を一旦棚上げし、楽しいだけの毎日を送ってそうな人達。コミュ障な自分は人並みに生きてるように、普通の人間の姿を保とうとするだけで精一杯なのに。なんでそんな楽しそうなん?パーティーで周囲の人間たちを鬼回しする高橋ちくわは、当時の自分からしたら疎ましい存在だったと思う。

大人になった今、ちくわのような人間が組織に1人いてくれると、自分が息がしやすい場面がたくさんあるかもしれないと思うことが増えた。

飲みの席はいまだに苦手だ。でもちくわみたいな子がいてくれると年齢問わず場が盛り上がるし、その間私は必要以上に気を使って頑張ることもなく肩の力が抜ける。美味しくご飯が食べれる。ほんでそいつは時々何の悪意もなく、無礼を働かすけど、なんかそれも笑えちゃうし尾を引かない。可愛いげって才能だしめちゃくちゃすごい。

竹林のこと。竹林に共感する人間がマジョリティのニューヨーク単独の会場って本当に素敵だし愛している🫰

彼はこれまでドカンと売れることはなかったこそすれ、固定のファンがそこそこいる芸人に思えた。でもどっかでほんとの自分はもっとすごいし、もっと高みでいい景色見れるポテンシャル持つ男だと思っていて、ついに賞レースファイナリストになり、その位置までたどり着いた。いざそこに到達した時、長年連れ添ってきたいつもの自分が本来の自分なのかもと気付きつつある彼の元に、駆け出しの芸人高橋ちくわが無邪気にやってくる。

内面の揺らぎの部分を絶妙に表現しているニューヨークのコントがめちゃくちゃ好きだなと今年もしみじみ思った。

ニューヨークが得意なこういう作風のコントって、重松清のきみのともだちを読んだ時の「何これちょー分かる」の読後感と同じような余韻と爽やかさがある。

一行目に戻る。

ニューヨークのネタはパーティーのコントみたいに考察が楽しいのは確かだけど、考察したって意味がないことがある。これを理解していない、解釈違いだ、調子に乗ってネタの手を抜いているなどとキレ散らかす、モンスターを時折見かけてしまう。それが彼らの魅力であることに早く気づいて欲しい。何見ても楽しくなるのだから。

ニューヨークがただただ好きに暴れ倒しているネタのこともまた、私は深く愛していることを伝えたい。

ニューヨークの長年の屁に対する信頼には本当に敵わないし、ボケがまだ足りないと卓球警察を追加するあくなき探究心は、これからも沢山のお客さんを楽しませてくれることを信じてやまない。

 

 

全部の単独のネタの話をしたかったけど力尽きた。今年も面白いネタがたくさん見れて良かった。

単独の配信もまだまだ売れてほし!過去作アーカイブも含めて!

 

 

 

最後に、ニューヨークのネタを見た後で、ついでにこれも、と誰かに紹介したくなってしまう良い作品紹介リスト

小説

・ここは退屈迎えにきて/山内マリコ

   地方出身女子あるある。「学生のころ夢中になった漫画大人になって読み返してみたけどあんまりだった」みたいな話。映画化もされた。

・チョコレートコスモス/恩田陸

   演劇の話。ベテラン俳優もアイドルも新人もみんな違ってみんないいから先入観やめよー?

 

ドラマ

・すいか/脚本:木皿泉 主演:小林聡美

   ファッションなり景色なりカラフルで見てるだけでも癒しのほのぼのドラマだけど、常に傍に""が寄り添ってる。自分でもよく分からんところで涙出る。

 

映画

・青い春/原作: 松本大洋

  有名すぎて説明いらんかも。「幸せなら手を叩こう」という命懸けのゲームで番長を決める退屈な高校生たちの話。ちゃんと不良なんだけどパッと見そうでもないところ良い。ダサくて痛々しいのに何故かたまらなくカッケーので好き。